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TUhjnbcbe - 2021/1/11 3:26:00
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翻译:可乐饼

校对:ひつ及小组其他成员

白い神

白神

福井地方の古い方言で「めっちゃ」は、あばた、おできを指す。天然痘が猛威をふるった江戸後期には、患者の顔に残る病気の跡もそう呼ばれた。そのころ、「めっちゃ医師」とさげすまれたのは地元の町医、笠原良策である▼

在福井地区的古老方言中,“meccha”(源语:めっちゃ)一词,意为麻子、脓疱。在天花肆虐的江户末期,这一词汇也曾指代天花痊愈后依旧残留在患者脸上的疤痕。当时,有一位福井当地的医生被人们轻蔑地称为“meccha医生”,其名为笠原良策。

天然痘ワクチンの普及に尽くしたその生涯は、吉村昭さんの小説『雪の花』に詳しい。「当時は藩医らも牛痘由来のワクチンが理解できない。西洋かぶれの怪しい医術といった中傷を浴び、笠原はくよくよと気に病みました」。そう話すのは福井県文書館の柳沢芙美子さん(62)。笠原の書簡を読み込んできた▼

吉村昭所著小说《雪之花》详细地记录了笠原为普及天花疫苗而鞠躬尽瘁的一生。“当时,藩医们无法理解牛痘疫苗的原理,诽谤笠原,抨击其方法乃是西方妖术。对此,笠原很是烦恼。”福井县文书馆的柳沢芙美子女士(62岁)如此说道,她一直热衷于阅读笠原的书简。

念願の牛痘苗を京都で手に入れるが、笠原には福井へ運ぶ手立てがない。決行したのは、幼児に接種して吹き出た膿(うみ)を別の幼児へ植え継ぎながら運ぶ方法。いわばワクチンの駅伝である。雇った親子十数人と雪嵐の峠を越えた。年冬のことだ▼

虽然笠原在京都终于得到了心心念念的牛痘疫苗,但他却没有办法将疫苗运往福井。最终,他决定给孩童接种疫苗、再将涌出的脓肿移植给另外的孩童,用这种方式运输疫苗。即所谓的疫苗接力。年冬,他与雇佣来的十几位亲子共同翻越了暴雪的山峰。

その後も接種は広まらず、莫大(ばくだい)な借財を抱える。「理解されたのは3年後の大流行から。わが子の命を救えると親たちが確信した後です」。藩が腰を上げ、種痘所の本格運営に乗り出す▼

之后,接种工作还是未能大面积普及,笠原背上了巨额的债务。“三年后,大流行爆发,他从此时起得到人们理解。父母看到孩子获救后相信了笠原的疫苗”。越前藩终于行动起来,开始正式设立种痘所。

笠原たちはワクチンに「白神(はくしん)」の字を当てた。発音の近さもあるが、威力を神のように感じたのだろう。世界がワクチンの完成を待つコロナの時代、白神の当て字は少しも大げさに思えない▼

笠原等人将疫苗命名为“白神”,不仅是因为两个词在日语中发音相近,也是因为疫苗效果显著,如同神明降世。而在全世界都在翘首以盼疫苗研发成功的新冠时代,白神之名一点都不夸张。

福井平野を一望する足羽(あすわ)山に登った。山頂に立つ笠原の顕彰碑には「疫*(えきき)を駆逐し、嬰児(えいじ)を育て」とある。笠原の名が公衆衛生の先覚者として刻まれていることに安堵(あんど)した。

我登上过能够将福井平原一览无遗的足羽山,屹立在山顶的笠原纪念碑上镌刻着:驱逐疫*,延续新生。当我看到笠原因作为公共卫生的先驱者而被刻在碑上时,我感到十分宽慰。

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